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自分の人生なんだから、好きに生きようや

冬の夜風が頬を撫でる時。

 

 

昨日は奥湯河原の夜空が綺麗だった。

月も綺麗だった。

 

 

 

今私は、奥湯河原で仲居の仕事をしている。

所謂、リゾートバイトというやつだ。

 

 

 

平成最後のクリスマスも。

平成最後の年末年始も。

平成最後の元彼の誕生日も。

 

 

ここで過ごす。

なんだかちょっと虚しいな。

 

 

 

そんなことを、お風呂上がりに夜空を眺めて考えていた。

 

 

 

寝て働いて寝て働いて。

そんな毎日の繰り返しの中で、楽しさを見出すのは至難の技で。

 

 

『心が動く』っていうことがなくなってきている気がした。

 

 

 

今まで自由に

やりたいことをやって、

食べたいものを食べて、

見たいものを見てきた。

 

 

 

このリゾートバイトも、ずっとやってみたかったことの一つ。

 

 

温泉に入って、働いてお金を稼いで、ごはんを食べて。

楽しそうじゃん。

 

 

なんて軽い気持ちでいた。

 

 

仲居さんって、人生で経験できることなんてないからこれにしよう。

 

 

そう思って自分の意思で決めた。

 

 

 

 

実際には、

仲居のお姉さんがたの派閥。

中腰作業による腰痛。

立ち膝による膝の乾燥と荒れ。

 

と、しんどいことも多い。

 

 

 

じゃあ、途中で投げ出せばよくない?

 

 

なんて思われるかもしれない。

 

 

 

 

それでもやっぱり、お客様との時間が最高に楽しい。

食事の配膳と片しという短い時間の中で、様々な会話ができる。

 

 

 

私が仙台出身であることを伝えたご夫妻は、

今どのくらい復興してるの?当時私たちもボランティアに行ったのよ

と地元の心配をしてくださったり。

 

 

三世代で旅行中の2歳の息子さんは、

私にとても懐いてくれて、ハグや抱っこをしてあげる度に

ママやったー!やったー!

 

と無邪気にはしゃいでくれたり。

 

 

中国から1人旅で訪れてくれた女性は、

拙い私の接客に最後の最後まで「ありがとう」と伝えてくれたり。

 

 

一つ一つの言葉や行動が嬉しくて。

仕事中にも関わらず、泣いてしまいそうになる。

 

 

 

あぁ、やっぱり自分は人と関わることが好きなんだな。

そう、再確認できる瞬間だった。

 

 

 

 

今日の夜空も綺麗だ。

明日も明後日も、きっと綺麗だ。

 

 

 

冬は、何かと考えさせられる。

寒いのは嫌いだ。けど、冬が嫌いな訳じゃない。

 

 

 

冬の夜風が頬を撫でる時。

私は、夜空を眺めているだろう。

 

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ハロウィンなんて世間は言うけれど。

 

トリックオアトリート 

お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ

 

この言葉を初めて聞いたのは、

任天堂ゲームキューブの『どうぶつの森』の中でだった。

 

 

街はハロウィン一色。

無宗教者の多いこの国は、宗教行事もごちゃ混ぜだ。

 

 

渋谷での騒ぎはニュースで取り上げられ、

今や一大行事までに発展したハロウィン。

 

 

世間では、その話題で持ちきりだ。

 

 

 

その頃私は、遠くからきた友人と一緒に過ごした。

 

 

普段歩く道でも、

1人で歩くより誰かと歩いた方が楽しい。

 

 

いつもなら気づかないようなことが目に付いたりもする。

 

 

 

1日の締めに、近所の駄菓子屋に行ってきた。

 

店内には懐かしの駄菓子がずらりと並べられ、

小学生たちがお菓子を食べながらデュエマのバトルをしていた。

 

 

そう、この感じ。

 

 

カゴを手に、あれこれと懐かしの味を詰めていった。

そしておばちゃんの立つレジ台へ。

 

 

あぁ、昔とは違うな。

ふと思った。

 

 

小学生の頃は、

「今日は300円しかないからうまい棒とゴールドチョコと蒲焼さんと」

なんて、必死に足し算をしながら手に取っていた。

 

 

自分、もう子供じゃないんだな。

そう思ってしまった。

 

 

それがなんだか虚しくて。

けど、そんな自分が嬉しくて。

 

 

1人勝手にエモさに浸った夜だった。

 

 

 

ハロウィンなんて世間は言うけれど。

 

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この頃、秋になりまして。

 

 

照りつける太陽から優しい日差しへ、

人々の足元はサンダルからスニーカーへと変わった。

 

 

 

少し冷たい夜風を頬に感じて、

鈴虫の音を耳にしながら、バイト終わり帰路につく。

 

 

 

いつもと変わらない秋の1日だ。

 

 

 

 

 

秋は何かと盛り上がる。

 

 

食欲の秋。

読書の秋。

行楽の秋。

スポーツの秋。

 

 

 

けれど、心のどこかで、まだ夏を引きずっている。

 

 

 

夏が始まった 合図がした

傷つき疲れるけどもういいんだ

イヤホンから流れるMrs.GREEN APPLEの『青と夏』

 

 

もう戻ってくることのない。

あの夏が。

 

 

引きずっているんじゃない。

きっと、あの夏が恋しいのだと思う。

 

 

 

写真を見返すたびに、

あの時に戻れたらと思ってしまう。

 

 

いくらそんなことを思っても、時は流れていくばかり。

その流れに逆らうことなんてできやしない。

 

 

そう分かっているから、後ろではなく前を向く。

 

 

 

秋には秋なりの楽しみ方がある。

それを自分は知っている。

 

 

思い出に縋るのではなく、浸る。

そして今を楽しむ。

 

 

そうやって、自分を戒める。

 

 

これからもまだまだ楽しみなことはある。

 

 

栗やきのこを食べることも、

新たな本に出会うことも、

紅葉を観に行くことも、

公園でキャッチボールすることも。

 

 

そうやって秋を楽しめばいい。

 

 

けれど、やっぱり恋しい夏がある。

ということで、来週末はハワイに行ってきます。

 

 

 

それからまた、秋を感じていこう。

この頃、秋になりまして。

 

 

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Hakuna Matata きっとなんとかなる。

 

1ヶ月の旅を終え、日本に帰ってきてから。

全てが夢だったんじゃないかと思う。

 

 

旅をすると、

日常が非日常と化し、

非日常が日常と化す。

 

 

その感覚に恋している自分がいる。

 

 

 

皆さん知っているだろうか。

Hakuna Matata

という言葉を。

 

 

 

そう、ライオンキングの中でも登場する言葉。

ティモンとプンバが口癖のように言う。

 

 

意味は、

きっとなんとかなるから大丈夫。

問題ないよ。

といった感じ。

 

 

これは、スワヒリ語の1つだ。

 

 

ケニア人は常日頃からこの言葉を口にする。

 

 

 

ふと、旅の終わりにこの半年を振り返ってみた。

怒涛の半年だったと思う。

 

 

感情が目まぐるしく変わり、

環境も変わり、

生活も変わった。

 

 

常にポジティブでいようと心掛けてはいたものの、やはり落ち込む時もある。

 

 

そこで思い出したのが、

ケニアで教えてもらった

Hakuna Matataの精神

 

 

 

人生行き当たりばったりでもいいかなって。

その瞬間を楽しむことができたらいいかなって。

 

そんな風に思えた。

 

 

ケニアの広大な大地を思い出すと、

自分の今までの悩みがちっぽけに思えてもきた。

 

 

 

今このタイミングで、

ケニアに行ったことはきっと必然で。

運命だったのかもしれない。

 

 

 

そんなことを考えた、今回の旅だった。

 

 

旅の詳しい話を聞きたい人は是非。

お声掛けください。

 

 

 

Hakuna Matata。

 

きっとなんとかなる。

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地平線の向こう側。

 

 

私たち人間は、アフリカ大陸という地で誕生したらしい。

 

 

小学生の頃。

社会の授業で、地平線の向こう側の世界を知った。

 

 

けどそれは、教科書上での話。

 

 

 

小中高と情報量は増え、自分の中でのアフリカに対する固定したイメージが出来上がった。

 

 

 

多種多様な民族に、広大な大地。

自然と共存する姿。

 

 

それと共に、アフリカ=危険という文字がセットになっていた。

心の中で密かに行きたいと小学生の頃から夢見て。

 

 

 

 

これまで13カ国旅してみて、気付いたことがある。

 

『イメージは覆される』

 

それは、良い面でも悪い面でもだ。

 

 

 

だからこそ旅はやめられないし、周りの情報だけを鵜呑みにはしたくない。

旅をする度に、日本での情報を自分の見た真実として脳内をアップデートしていく。

 

 

 

そう、今回はイメージのアップデートをしてくる。

アフリカの。

 

 

 

もしかしたら、イメージ通りの場所かもしれない。

なんてことはきっとなくて。

 

 

何かしら、自分の知らないものが待っている。

 

 

 

訪れるのは、2カ国。

ケニアとエチオピアだ。

 

 

どうしても行ってみたかった国。

 

エチオピアには、インジェラという世界一不味い食べ物があるのだとか。

気になる。

 

ケニアは、マサイ族とサファリ。

マサイ族は世界一有名な民族なのではないだろうか。

それに加えて、リアルライオンキング。

 

 

っていうのは後付けで。

実際アフリカならどこにでも行ってみたいと思っていた。

 

 

よく「なんでそこにしたの?」と聞かれる。

 

 

きっと質問した相手は、ちゃんとした答えを望んでいるのだろう。

けど「ただ、気になった、航空券が安かった」じゃダメなんだろうか?

 

 

 

だからこうやって、後から理由付けをする。

 

 

 

実際、行くことが決まってから下調べをしだす。

ケニアもエチオピアも何があるのか正直よく分かってないし、下調べだけではイメージはアップデートされない。

 

 

この目で、この足で、この体で。

体感してこそ、そこの国の良さが分かる。

 

 

もちろん楽しみなこともあるけれど、そこに固執した旅はしたくない。

 

 

 

不安はないのか?

と聞かれたら、ないとは言えない。

 

 

ちょっとの不安と、大きな期待。

そしてアフリカへのイメージを抱えて旅に出る。

 

 

 

私のことを待っている場所が、地平線の向こう側にあるから。

 

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向かい風は、後ろ向けば追い風になる

 

 

少年には遠回りする時間が与えられ

老人には近道を知る知恵が授けられて

ここ最近聴いている曲。

ポルノグラフィティの『ブレス』の歌詞だ。

 

 

 

私は今月大学を辞める。

理由は複数あるが、ちょっとここで書き連ねてみようかな。

 

 

 

私は、大学が好きだ。

大して友達が多いわけでも、

大して成績が良いわけでもない。

 

 

 

ただ、あの空気感が好き。

大学の周りは緑で囲まれて、

夕陽が本当に綺麗に見える。

 

 

山を削って作られてたようなど田舎にあるけれど、

ここにしかない良さがある。

 

 

 

毎日往復3時間かけて通い、気付けば3年生になっていた。

 

 

1年生。

心躍らせて、毎日を過ごしてた。

機材に触れるのも、教授の話ひとつ聞くにしても。

全てが輝いて見えた。

 

2年生。

無意識に単位の取りやすい講義を選択するようになっていた。

初心を忘れていたし、ただなんとなく毎日を過ごすだけの大学生になっていた。

 

3年生。

ドキュメンタリーを専攻して、初心を取り戻した。

映像の面白さに再び魅了された。

誰かに何かを伝えるための作品を作ることが楽しかった。

 

 

 

ふと、立ち止まって考えてみた。

 

 

 

私は、就職に対する意欲が薄い。

だが、3年から奨学金を借りている。

 

 

2年間で約240万の借金を背負ってまで、今1番したいことはこれなのか?

 

 

映像を学ぶことは、心から楽しいと思っている。

けれど、1番したいことではなくなっていた。

 

 

正直、自分が今この気持ちで、

またなんとなく大学生活を送っていくのが嫌だった。

 

 

だから、決意した。

自主退学という選択をすることに。

 

 

これが正解かどうかは誰にも分からない。

 

 

もう3年生なのに辞めるのは勿体ない。

大卒は持っていた方がいい。

そう思う人はごまんといるだろう。

 

 

私自身は、特にそうは思っていない。

自分のこれからと真剣に向き合った結果に過ぎないと捉えている。

 

 

むしろ、好機だ。

これは間違いなく自分の人生のターニングポイントになる。

 

 

だからこそ、これからの未来にワクワクする。

私という人間が、どんな軌跡を辿っていくのか。

 

 

 

今は、少し遠回りをしているかもしれない。

それができるのは、若いうちだけだ。

 

おばあちゃんになったら、沢山の知恵で近道ができるように。

今は、ほんの少し、ほんの少しだけ遠回り。

 

 

去年の今頃は大学辞めるなんて思ってもみなかったし、

来年の今頃は何をしているか分からない。

 

 

人生の醍醐味ってそういうところなのかな。

なんて、20歳の小娘が言ってみる。

 

 

ちょっとだけ立ち止まって、後ろを見てみよう。

きっと。

向かい風は、後ろ向けば追い風になる。

 

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浴衣に着替えて。

 

 

仙台七夕が終わった。

仙台の夏が終わったも同然だ。

 

 

私は、この期間中にお酒のサンプリングをしていた。

試飲会無料で行っています、どうぞお立ち寄りください

と声を貼って誘引する私の前を次々通り過ぎていくカップル。 

 

 

 

浴衣に身を包んだ女性たちはエロい。

下心なんてなくたって、エロく見えてしまう。

 

 

好きな人のために気合を入れて。

今日のために試行錯誤して選んだ浴衣に身を包む。

 

 

そんな背景を想像するだけでエロい。

 

 

 

 

サンプリングに立ち寄ってくれたカップル。

美味しくて飲み過ぎちゃうね

そう呟く彼女さん。

 

 

 

その時気付いたんです。

 

 

夏って、エモいだけの季節じゃない。

夏って、エロい季節なんだ、と。

 

 

 

日本は、性的な感情にあまりオープンではない。

 

 女性が性的発言をすると、

『下品だ』

『軽い女だ』

 何て言われ。

 

男性が性的発言をすると、

『セクハラだ』

『変態』

などと言われる。

 

 

でも、今は夏だ。

ちょっとくらいいいじゃない?

 

 

だって、夏なんだもの。

 

 

 

もっとオープンに。

もっと大胆に。

 

 

 

純粋な心と下心をそっと胸に押し込もう。

浴衣に着替えて。

 

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平成最後の夏だから。

 

 

日本人は、終わりが見えているものが好きだ。

 

 

散りゆく桜を眺め、

閉店セールには列をなし、

解散を発表したバンドの曲を突然聴き出す。

 

 

 

儚い。

切ない。

 

そんな日本人特有の感情。

 

 

 

最近よく耳にする。

平成最後の〇〇

 

 

天皇陛下が来年4月に退位すると知った私達は、

突然平成の終わりを突きつけられた。

 

 

 

SNSでは、こぞって『平成最後の』と言いたがる。

 

 

大して去年と変わらない。

ただの平成の内の1年にしか過ぎないのに。

 

 

 

なぜ、そんなに終わりが見えるものが好きなのか。

きっと、何か理由が欲しいだけなんだ。

 

 

 

『平成最後』を言い訳に、

ただ何か行動に移したいだけ。

 

 

 

これから平成最後の誕生日も、

平成最後のハロウィンも、

平成最後のクリスマスも、

平成最後の年越しも、

私達を待っている。

 

 

そんな節目のタイミングに、

新たな自分に出会えるかもしれない

新たな恋が待っているかもしれない

新たな未来が待っているかもしれない

 

 

 

その『かもしれない』に思いを馳せながら、

各々が『平成最後』を楽しんでいるのだろう。

 

 

 

今は、平成最後の夏だ。

去年となんら変わりのない夏だ。

 

 

 

それでも、平成最後の夏だから

 

 

いつもより勇気を出して、一歩を踏み出してみよう。

好きなあの子を夏祭りに誘ってみよう。

1人で旅に出てみよう。

 

 

 

平成最後の夏だから。

 

 

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