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自分の人生なんだから、好きに生きようや

少女漫画の主人公になりたくて。

 

高校生になったら、屋上でお弁当が食べられると思ってた。

高校生になったら、F4みたいな4人組がいると思ってた。

高校生になったら、イケメン2人から取り合いされるかもと思ってた。

 

 

そんなことはすべて幻想で。

 

 

あぁ、少女漫画の主人公にはなれないのだと気付いた。

 

 

最近私は『#彼氏いません』をつけて、妄想彼氏とのやりとりを呟いている。

妄想している間は、幸せいっぱいな気持ちになる。

全部が自分の思い通りな世界が広がっているから。

 

 

ただ最終的には現実に戻される。

 

あぁ、自分彼氏ないじゃん。

 

って。

 

 

小学生の頃から、少女漫画が大好きで。

特にNANAが大好きで。

 

きっと大人になったら、こんなロックな恋愛ができるんだと。

ずっとずっと思っていた。

 

気付いたらNANAやハチと同じ年齢になっていた。

 

 

少女漫画の主人公に憧れては、現実を見つめる。

いくら漫画の世界でキュンキュンしても、現実はそうじゃない。

 

 

でも、私は思う。

少女漫画の主人公になれなくても、人生の主人公になれるってこと。

 

 

親から敷かれたレールに沿って歩くのだって、自分の人生。

我が道を生きていくのだって、自分の人生。

少女漫画の主人公になれないのだって、自分の人生。

 

 

どんな人生だって、自分が主人公になんだ。

 

 

それでもまた少女漫画の主人公になりたくて、今日も呟く。

 

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恋文よ、届け。

 

 

今日は、ラブレターの日らしい。

 

僕のやってる商売は、今の日本で一番金にならない商売です。
その上、僕自身もろくに金はありません。
ですから、生活の程度からいえば、何時までたってても知れたものです。
それから僕は、からだもあたまも、あまり上等には出来上がっていません。


あたまの方は、それでもまだ少しは自信があります。
うちには、父、母、伯母と、としよりが三人います。
それでよければ来て下さい

理由は一つしかありません。

僕は文ちゃんが好きです。

それだけでよければ来て下さい。

芥川龍之介がのちの妻となる塚本文に送ったラブレターだ。

 

 

 

今や、恋文を手書きで書く人は少ない。

SNSが普及し、LINEなどで『好きだ』という思いを羅列する。

既読がつけば、相手は読んでくれたと嬉しくなり、返信に一喜一憂する。

 

 

それがいいのか悪いのかは私には分からない。

 

 

 

私は人生で一度だけ、ラブレターを書いたことがある。

小学校6年生の頃だ。

私は中学で宮城に転校することが決まっており、想いを伝えなければ!と思っていた。

 

 

いざ鉛筆を手に持つと、一言目が浮かばない。

 

こんにちは

今日はいい天気ですね

突然すみません

 

何が正解なのか分からない。

結果、一言目は『あなたのことが好きです』と書いた。

 

 

そのあとは、いつから好きだっただの、どこが好きだの書き連ねた。

書き終えた頃には、便箋3枚分も書いていた。

 

 

それをいつ渡そうかと考えていたら、あっとゆう間に卒業式を迎えていまった。

結局恋文があの人に届くことはなかった。

 

 

 

今は送信ボタンひとつで伝えられてしまう。

便利になったなと思う。

 

 

 

もしかしたら、これを読んでいるあなたはラブレターを書いている最中かもしれない。

 

 

 

もしそうならば、あなたにひとつだけ伝えたい。

大好きなあの人へ、恋文よ、届け。

 

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今でもずっと。

 

 

 

あなたには忘れられない恋がありますか?

そんな質問をとある60代の方にしてみた。

 

 

 

その方は私が尊敬している人の1人である。

結婚してからもう何十年と経っているらしい。

 

 

なんて答えが返ってくるのかな。

少しワクワクしていた。

 

そりゃもちろんあるよ

この歳になったら忘れられない恋の1つや2つ

少し微笑みながらそう言った。

 

 

 

結婚してもなお、忘れられない恋がある。

それって素敵だと思った。

 

 

詳しく聞いてみると、その恋は高校生の頃だったという。

気持ちを伝えることは最後までなかったが、甘酸っぱい青春物語のようなエピソードだった。

 

じゃあ、なぜ奥さんと結婚しようと思ったんですか?

続けて私は質問した。

 

 

この人とは結婚した方が楽しそうだなって、そう思ったんだよ

彼女のことを愛しているからね

その人は笑顔で言った。

 

 

 

あぁ、これが恋と愛の違いなのか。

 

 

 

恋と愛の違いは何か。

よく言語化しよすとする人たちがいる。

 

 

それはきっと無駄なことで。

最終的には自分の感覚でしかないのだと。

 

 

ハタチの私にはまだ到底理解しがたいことのように感じた。

 

 

ただ1つ。

彼との会話で分かったことがある。

 

 

誰もが淡い薄れている記憶に恋をして。

目の前の現実を愛している。

 

 

私も同じように。

あなたも同じように。

 

 

今でもずっと、そうやってまた1日という時間を過ごして生きていく。

 

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好きって気持ち

 

 

いつもより天気がよくて。

いつもより気分がよくて。

いつもより笑ってる。

 

そんな何気ないことが幸せなんだと思う。

 

 

 

今日の仙台は30℃超えらしい。

暑い。

 

 

春休みの間、タイに1ヶ月もいた私は東北で浮くほどの肌の黒さ。

やっと季節が私に追いついてきたようだ。

 

 

私は夏が好きだ。

『さくら』という名前を授かりながらにして、夏が1番好きだ。

 

 

 

なぜか。

きっとどこまでも続いてる夏の青い空が好きだから。

きっとこれから付き合うであろう夏祭りの男女の初々しさが好きだから。

きっと忘れられない夏が毎年訪れるから。

 

 

結局好きって感情の理由は全て後付けで。

好きなものは好きなんだ。

この一言に尽きる。

 

 

 

好きって気持ちは説明できるようなもんじゃない。

 

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世界の7割は海だ。

 

 

一生で一度っきりの もう2度と出会えない夏の

ど真ん中だぜ、サマー サマー サマー

 

かりゆし58の『サマーソング』を大音量で流し、太陽の光と海風を浴びながら船の上で寝る。

 

 

そんな最高な空間に、つい数週間前まで居た。

 

 

ずっと『旅人』という名に憧れて、世界に飛び出してみた今。

様々な『旅人』に出会ってきた。

 

 

 

自然が好きな旅人

海外雑貨集めが好きな旅人

食べ歩きが好きな旅人

 

 

 

そんな中でも、海が大好きな旅人に沢山出逢ってきた。

 

 

 

海に魅了され、海を探求し続ける旅人たち。

  

 

自分も海の中を冒険したい。

 そう思っていたら、自分もダイビングのライセンスを取得していた。

 

 

 

目の前に広がる広大な海。

カラフルな魚たち。

呼吸の音しか聞こえない水中。

 

 

五感で感じる全てが新鮮で刺激的。

そんな世界の虜になった。

 

 

世界の7割が海だということは誰でも知っている。

至極当然のことである。

 

 

 

その至極当然な事実だけが目の前に広がっている。

ただそれだけなのに心震えた。

 

 

旅に初めて出た時と同じ感覚。

世界が広いなんてこと、誰もが知っていることだ。

その事実を体感した瞬間、世界の広さが身に沁みて分かる。

 

 

そんな感覚が私に襲いかかり、気付けば海ばかりを眺めるようになっていた。

 

 

 

虜になってしまった今、これから先ずっとただただ感動し続けるだろう。

世界の7割は海だということに。

 

 

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さくら、今咲き誇る。

 

 

仙台では、桜がもう少しで満開になる。

私が1番大好きな花。

 

 

さくら さくら 今咲き誇る

刹那に散りゆく運命と知って

 

森山直太郎のさくら(独唱) のサビ歌詞だ。

小学校の校庭にはさくらが咲き誇り、別れと出会いの季節を知らせてくれる。

 

 

 

自分が小学生の頃。

さくらの花をみようとも、なんの感情も湧かなかった。

 

 

咲き始めの喜びも。

満開の感動も。

散りゆく儚さも。

 

 

私は冬生まれなのに、さくらという名を親から授かった。

漢字で『咲良』と書く。

 

 

 

良い花が咲くように。

 そんな両親の願いが込められている。

 

 

 

今になって気づく。

 

春になると、頭上一面に広がるさくらを見上げては人々が微笑んでいることに。

散りゆくさくらを眺めてはどこか儚げな目をしていることに。

 

そして、自分もそんな表情をしていることに。

 

 

 

 

自分は素敵な名前をもらったなと、20歳にして初めて思った。

 

 

 

きっと素敵な名前を授かったのも当たり前かもしれない。

可愛い我が子に名付けるのだから。

 

 

 

そんな当たり前に気付いた今。

今だからこそ、自分らしさを咲き誇らせる時かもしれない。

 

 

 

さくら、今咲き誇る。

ここからが私のスタート。

さくらは、刹那に散りゆく運命だと知っているから。

 

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100歳まで生きたなら。

 

 

2018/03/29

大好きなひいばあちゃん100歳の誕生日だった。

 

100年前、大正7年生まれのひいばあちゃん。

激動の中、今日まで生きてきたんだと思う。

 

 

・関東大震災

・第一次大戦終戦

・第二次世界大戦

・高度経済成長期

・バブル時代

・阪神淡路大震災

・リーマンショック

・東日本大震災

 

 

現代の教科書に載っているであろう数々の出来事を自分の目で見てきたのだろう。

 

 

 

ひいじいちゃんとは、第二次世界大戦中に出逢い結婚。

その後ひいじいちゃんは、お国のために衛生兵としてビルマに旅立った。

 

無事生還したひいじいちゃんとの間には、5人の子供、11人の孫、13人のひ孫に恵まれた。

 

 

ひいじいちゃんが亡くなったのは、25年前の3/29。

ひいばあちゃんの誕生日に亡くなった。

 

 

自分はひいじいちゃんを写真でしか見たことがない。

 

 

少し痩せ型で、笑顔の素敵な人だ。

 

 

私が幼稚園だったか小学校低学年だったかの頃に、ひいばあちゃんが言っていた。

あの人は、ひいばあちゃんのことが大好きで仕方なかったんだよ

 

 

大好きで大切な人を失った悲しみは、私には到底想像できない。

それでもひいばあちゃんは強く生きてきた。

 

 

ひいじいちゃんが亡くなってから25年、遂に100歳の誕生日を迎えた。

もう私のことを覚えていないし、あまり話すこともできない。

 

それでも私の大好きなひいばあちゃんには変わりない。

 

オロナミンCが大好きで、ちょっと毒舌で。

小さい頃はひいばあちゃんの膝の上に座るのが好きだった。

 

 

そんなひいばあちゃんが100歳。

人生で初めて100歳になった人をこの目で見た。

 

 

そして同時に考えさせられた。

もし自分が100歳まで生きたなら。

 

残りの人生が80年あるということになる。

今の歳の4倍も生きられるのだ。

 

人生はまだまだこれからなのだと痛感した。

そして、残りの人生にワクワクした。

自分次第で最高に面白い生き方ができる。

 

 

ひいばあちゃんのおかげで、新たな目標ができた。

100歳まで生きることだ。

 

 

ひいばあちゃんがこの世界に生まれてこなかったら。

ひいばあちゃんが激動な時代を生き抜いてこなかったら。

ひいばあちゃんがひいじいちゃんと出逢っていなかったら。

 

今、私はここに存在していない。

 

 

100歳おめでとう生まれてきてありがとうを伝えたい。

 

 

滅多にこんなことを考えることはないだろう。

これを読んだあなたも考えてみてほしい。

 

 

自分がもし100歳まで生きたなら。

 

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かけがえのない日々を。

 

 

今日で東日本大震災から7年。

あっという間の7年だった。

 

 

 

地震発生時、自分は中学校の体育館の中にいた。

学区の避難場所に指定されていたので、『体育館なら安心だろう』と揺れている間はなぜか冷静に物事を考えている自分がいた。

(のちに、体育館は半壊扱いとなり立ち入り禁止に)

 

 

揺れが収まり、校内にいる生徒は校庭に一度全員集まった。

その瞬間に体の震えが止まらなくなった。

 

 

人がいるという安心感と同時に、家族の安否や家のこと、街はどうなってしまったのかという不安に襲われた。

 

 

今でもあの時の感覚を覚えている。

あの瞬間の空気感を覚えている。

 

 

周りの友達は泣き叫び、先生たちはせわしなく動き続け、雪が降っていた。

 

 

 

私も泣きたかった。けど、家族に会うまでは泣けなかった。

強い自分でいなくてはと、謎の感情が生まれ、先生たちと一緒に友達が落ち着くようにと背中をさすったり、上着を貸したり。

 

 

大きな津波が港町を襲ったということは、地震発生8時間後にラジオで知った。

 

 

幸い、私の家族は誰一人怪我もせずに合流できた。

今までもこれからも、家族の安心感をここまで感じることはないと思う。

 

 

停電は2週間続き、ガスは1ヶ月途絶えた。

毎日揺れは続き、ニュースはすべて震災関連のこと。

まるで日本沈没の映画に入り込んだ気分だった。

 

 

 

あの1ヶ月は、ただひたすらに怖かった。

けれど、多くのことをあの震災から学んだ。

 

 

 

 

何よりも、今自分がこの地球に存在できている。息をしている。

そんな些細なことがものすごくありがたいと感じる。

 

 

 

7年前の自分は、今この未来を想像できただろか。

地震の恐怖に怯えていた日々、毎日生きることで精一杯だった日々。

あの時の自分に伝えてあげたい。

 

 

 

そこを乗り越えたおかげで、

大切な人に沢山出逢えることを。

素敵な景色を見れることを。

美味しいご飯がたべれることを。

 

 

 

たまに、当たり前の大切さを忘れてしまうことがある。

そんな時は、一度立ち止まって、過去を振り返る。

 

 

過去の自分のおかげで、今の自分がある。

 

 

今までのかけがえのない日々よ、ありがとう。

これからのかけがえのない日々を、噛み締めて過ごしていこう。

 

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